ペンは拳銃よりも弱し
拳銃を持った看守に隠れておびえながらこの文章を書いている。
といえばタイトルの意味が同志諸君にも多少理解できるだろうか。政府の言論弾圧のなかで、投獄され、革命軍の首領であった私を見せしめにして、きみたち革命軍、同志を降伏させるための道具として使われているのだ。
情けない。これでも青年のころは、文筆家を志したものであるが、最後に執筆する作品が自らのイデオロギー(主義主張)に反するものになるなんて、なんたるアイロニー(皮肉)だろうか。同志諸君が調べずともこの文章を読めるように、なるべく平易な言葉を使おうと思う。
我が息子、優秀かつ偉大であるクロップスーズよ、この言論闘争は徒労におわる。どうか、お前も戦いを退いて、政府軍に許しを請うて靴を舐めるのだ。私たちの言葉では人は殺せない。同志諸君以上の人間は動かせない。
お前も実感しただろう。銃で目の前の同志が政府軍に惨殺されてから、何人の同志が私たちの元を離れて政府軍に寝返った?結局どんな文字を書いてもどんな甘美な悪魔のささやき文句を謳っても、人は死にはあらがえない。当然の事実だ。頭の良い同志諸君なら心中でわかってはいただろうが、”それ”を突き付けられることなどなかった。
だから息子よ、こんな戦争はやめにしよう。囚人の噂でお前が今、首領となって革命軍を率いているのは知っている。やめておけ。これは元、首領の言葉ではない。お前のひとりの親としての言葉だ。
我々の主張のために多くの同志を道連れにするのはあまりに愚かだ。お前は弁が立つし、勇ましい。お前が同志をきちんと説得すれば、きっと同志諸君は納得してお前についていくだろう。だからこそ、お前たちはここで戦いを退くべきなんだ。
あれほど勇ましかった親の最期の言葉がこれだ。笑えるか?
いま、死神が目の前を実際に通っているのだ。シャーマンや悪魔崇拝ではない。実際に人を殺すことができる、武器があるのだ。非暴力主義の私たちでは勝てるはずがない。服従するしかないのだ。
ペンは拳銃よりも弱い。
明日の日の出前に、我は隠し持っていた”実”をかみつぶし、死ぬ。
我は自分の死の恐怖を前にして、言葉での革命をあきらめた。
あざわらうがいい。大いに。もうここまで言わなくてもいい、とウンザリしていることだろう、我が息子よ、今すべきことをしろ。以上だ。
元首領・ニセ文筆家 アパッチ・ヘイスト・エミリングハンより