騾黒愛(Lark roa)

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人は女ごきぶりの悲しみを知らず

 「人は、女ごきぶりの悲しみなんて、ついぞ知ることがないまま生きるのですよ。」

 

 やわらかに髪を乱す、明朝の清潔な風に、その声を聴く。

地面が歪むけがらしい暑さに、涼しく凛とした風が疲れることもなく寄り添う。

 

 その人は、私の、ごきぶりの世界の中でもっとも美しく、徳のたかい者であった。

人などの持つ、通俗の汚さとは無縁であった。

 

 今日のような日には、など陳腐な枕詞で、あの人の影と、その陽光をも制するほどにまぶしい、明かるさが思い返される。

 

 どこかで最高気温が出た、コウシン、コウシン、など方々で騒がしい声をきいた。

あの人は、台所に立っていた。

 「お茶ですよ。降りてきなさい。」

そう、言葉じりだけ書くとトゲのある言葉でもって、マイルドな声音で呼びました。

 「はぁい」

ぶっきらぼうに言って、降りて行きました。

茶碗が四つ、並んでいました。

一つはその人の、一つは私の。残りの二つはなんでしょう。

ぼうっと考えていると、その人は台所からリビングに来て、ふと一つの茶碗を取ると、仏壇にお供えになりました。

 仏壇。あの忌まわしい、けがらしい人間様が、広くない和室の一角で、今もえらそうに、陣取っているのです。

 その人の背中には、もの悲しい素振りなどなく、ただ淡々としたさっぱりさがありました。仏壇の前でさえ、それは変わりませんでした。

 私は、着てもないシャツの襟を、正したくなる思いで見ていると、

 「なんよう、ほうれんそう、」

とその人は唱えました。たしか、どこかの聖句だったように思います。

 窓から這入るぬるい風が、お茶碗の水面と、私の触角を揺らしました。

 

 

 四つのお茶碗のうち、一つを私が飲んでいると、その人はリビングに来て、

「お茶がおいしい日ですね。」

と、言いました。

 お茶がおいしい、それは確かなのですけれど、それは、今日はいつもとお茶っ葉が違うのかしら、と考えていました。

今思い返してみますと、それは、熱い風と、それを増長させる鉄筋の地面への、最大級の皮肉だったように思われてなりません。

 ほんとうのところは、その人しか知らぬのですけれど。

 

その人は、細い足で丁寧にお茶碗を口に運びますと、音を立てずに、静かにお飲みになって、

 「あとの一つは、あの子のぶんですよ。」

と、言いました。あの子とは、姉のことでしょう。

姉は、人間様に変わってから、私たちの生家を訪れなくなりました。

大変えらい、「人」です。

しかし、私にはそのとき、いいえこの先も、姉について一切わからぬのでしょう。

ごきぶりを辞めて、人に転じた姉が。

 

 しかし、そんないわば行方知れずの姉にも、その人は平等に、なんの忖度もなく、平等に冷たい緑茶を注いでくださるのです。

 かような、些末なことは、時が経った今だからこそ、くよくよと考えることができることですけれども。

 

 お茶碗が二つを残して空になり、洗われたそれがすっかり乾くころ、その人はお仕事に出て行きました。

その時間には、私は寝息をかいていることが多かったように思います。

 

 窓のそとから、ゆらり、と妖しの如く太陽が上ってくるころ、その人は帰ってくるのでした。

 「ただいま、もどりましたよ。」

と階下で声がするのを、目を閉じようか開こうか、迷いながら聞きました。

その声が、姉が出て行ったことですっかり、あの仏壇を除いてがらんどうになった部屋べやに、うつろに響くのでした。

 

 帰って来た折にも、その人は、「なんよう、ほうれんそう」

と唱えました。

仏壇に。人間様を祀る、それに。

そこにねむる人間様は、人間その中でも、大層えらい方でした。

 

 「’’’’’’’’’」

私たちに分からない言葉で、人間はつぶやいていました。

お茶を懸命にそそぐ、その人を、何度も手でもって振り払いました。

 あの人間は、時折発狂したように我が家のなかを暴れまわりました。

 「””””。””””。」

これは、人間様でなく、その人があの人間めに言ったものです。

たしか、こういう風に言うと、決まって決まり悪そうに、人間様はすこし眉間に皺寄せながら、座布団に座るのです。

 その人にしか使えない、人間様を超えた技術。

魔法、とでもひとつ付箋を貼っておきましょうか。

 

 

 風が次第にぬるさを捨てて、甲羅を刺すような冷たさになったころ。

「いいかい、」

と、その人は言いました。

私はその人の膝から、じいっ、とその人の声を、自動車、バス、商人、女衒。その他もろもろよりも注視、いいえこういった折には注聴、とでも申すのかしら。人間様の言葉には、いまだに慣れませぬ。

 「人は、女ごきぶりの悲しみなんて、ついぞ知ることなく生きるのですよ。」

その人は、庭のススキの穂のほうに目をやりながら、こともなげに呟きました。

草葉の根の如く、そのひとの足の上は温かく、いつもそうされる夜には、譜段よりすっきりと、私は眠られるのでした。

 

 あくる夜、その人はいつものごとく、行ってきます、と私の肩に手をそえていうと、出て行きました。

 私は、うなずいて、その人の目を見つめました。

その目に映る私を、たしかに見ました。

 

 日がのぼって、その人が帰ってきました。

その日は、私もぐうぜんに、起きていました。

 「きょうは、煙くさいですね。」

と私が無礼にも言うと、

 「そうです。この頃、どうも人はお変わりになりました。」

と申されました。

人が、その人に煙の、どうにもいやな匂いを纏わせているのか。その人の、元来の美しい香りを、けがしているのか。

それを聞いたさいに、真っ先に姉の顔が浮かびました。

しかしその時には、私にもその人にも、姉の言葉はすっかり分からなくなってしまっていましたので、どこに勤めているだの、何をなさっているだの、知る由もありませんでした。

 

 今、姉はごきぶりの権利を主張しています。

ごきぶりの虐待、ごきぶりの商品化、ごきぶりの悲しみ。

それを、人間様に向けて、大声で叫んでいるのです。

 

 その演説は、ごきぶりには聞こえない。

ごきぶりの言葉ではないからだ。人間様のお言葉だからなのだ。

 

 姉がそういった議論なぞをしてもしていなくても、その人はただ、

「人は、女ごきぶりの悲しみを知らず。」

と私の枕元でいつも言うのでした。

 

 私はあるとき、尋ねました。

「人間はなぜ、私たちの悲しみを知らないの。」と。

その人は、すこし目を見張って、目の中の私を大写しにして、言いました。

「人間は、素晴らしく崇高なのですよ。

 私が明日のごはんを持って帰ってこれるのも、人間様がお優しいからなのですよ。」

 

 その人は、あくる晩、死にました。

広げられたその足はいまだ美しい色で、人間様が恥ずかしがって隠すところでさえ、美しかったのです。

 

 蟻の葬列を見送りました。

 

私は、人間になろう。

優しい、人間になろう。

仏壇の忌まわしい憎たらしい人間でなくって、とびきり優しい人間になろう。

あの人は、しんに人間をお慕いなさっていた。

 神は亡くとも、仏は泣くとも。私は、ごきぶりより、美しきあの人よりも、優しくならねばならぬのです。

 

 あの人へ。

 私はいまだに、人間が優しいだなんて、お言葉ですが思ったことはございません。ほとんどの人間は、自分のために生きている者ばかりです。あなたのように、他者を思いやって生きている者なぞは、出会ったことがありません。

 

 姉に、会いに行きました。

姉は、私をたいそう嫌がり、怪奇に臨するごとき目をしました。

「’’’’’’’’’」

としきりに口にして、煙をたいて私を遠ざけようとしました。

街頭に立つ姉の分かりやすい言葉でなく、難しい言葉で。

街頭の姉の言葉をお伝えさせてください。

 

ごきぶりの、権利。 

ごきぶりの、自由。

ごきぶりの、悲しみ。

 

 私は、姉がうたうその文句を、冗談なのかまことなのか、解すことができません。

あなたでしたら、しんに強いごきぶりのあなたでしたら、分かるのでしょうか。

 

あの晩の、あなたの言葉。

「人は、女ごきぶりの悲しみなんて、ついぞ知らないまま生きるのですよ。」

あなたが寝床にいつも置いていった言葉は、本当なのですか。

それとも、ただの冗談なのでしょうか。

姉は、ついに人間に変わりきってしまって、ごきぶりの悲しみを忘れたのでしょうか。

 

 ああ、私はおかしくなってしまいそうです。

人間様の悲しみも、あなたの、ごきぶりの悲しみも、分からないまま、知らないまま、生きるのでしょうか、生きていかねばなかぬのでしょうか。

半人半虫の私は、どちらにも、しんには成れないのでしょうか。

ヘンタイは、起こらないのでしょうか。

 

 人の悲しみもごきぶりの悲しみも分からない私。

鳥や犬に内心びくびくしながら、友人には気丈に振る舞う私。

人も、ごきぶりも、あなたを除いてすべて、怖くなりました。

 

さいごに、拙作のつまらない詩句をひとつ、置いておきますね。

 

「人は女ごきぶりの悲しみを知らず、女ごきぶりは人の悲しみを知らず。

どちらも解せぬ者、人にもごきぶりにもあらず。」