ぼくは、ロックンロール・スターになりたかった。TVでは、変な顔をしてミュージシャンが跳ね回っていた。ぼくも成りたいと思った。
でも、ぼくには楽器を買うお金も、バンドをする友達もいなかった。
ぼくの生的欲求(リビドー)は、導火線が燃えはじめた、爆弾のようだった。
劣等生だったから、高校もろくに修了できなかった。ぼくは、都会に出た。
これは皮肉な話なんだけれども、住所の漢字は全く同じ所へ。
ぼくは、親戚のおばさんの紹介で、ライン工として働き始めた。仕事は大変だったけれど、汗をかいた躰に染み渡る、酎杯がたまらなく美味だった。
ある日、工員と喧嘩をした。「出てってやる」と言って工場を飛び出した。
向かったさきは、車で数分の、ラーメン屋だ。そこでぼくは、酎杯をぐい、ぐいと呑み、工員の悪口を大将を対象に奴当たりした。
ライン工に行かなくなった(というより、行けなく成った。)
おばさんに対する申し訳なさ、工員総てから罵倒されている感じがした。ぼくは、酎杯を買い込んで、公営のアパートに越して、引きこもった。
でも生きていると何かとお金がかかる。働いていたときは何の差し障りもなかった酒代や、食代がいやに高く感じられた。
いつものラーメン屋で食い逃げをした。
ケーサツに捕まって、人生が終わったと思った、と同時に、こんなもの終わってもいいとも思った。でも、おばさんが代わりに代金を払ってくれて、ぼくは無罪放免、だ。
もう、おばさんに合わせる顔がない。
5月30日。ぼくは酎杯をぐいと飲みほして、決意をきめた。
持ち物は短刀、ライターオイル、100円ライターだ。
勘のいい読者諸君なら、ここで特定少年Aが何をするかもう理解できたであろう。
3丁目X2-X6。昼一時。丁度昼休憩の時間。車に乗り込んだ。決行だ。
一見普通のアパートメントに見えるヤモリ野郎の工場に、ぼくはオイルをまいて、100円ライターを投げ込んだ。
ごおごおと音を立てる工場を見て、ぼくは興奮していた。止まらない興奮を。僕の手で、仕返しをしてやった。蜘蛛の糸を、自分から燃やし尽くしてやった。
車に乗り込んで、アクセルを踏む。なぜだか動かない。
しまった、ガス欠だ。ぼくは如何し様もない状況に、車のなかでただ打ち震えていた。
サイレンの音がする。今度は本当に一缶の終わりだ。酎杯の缶を放り捨てる様に、ぼくは世界から追放されるのだ。
声をかけてきたのは、白い服を着た人間だった。「大丈夫ですか?」と声をかけられ、あまりのショックに気を失ったぼくは、病院に運ばれた。
ぼくは、英語のよくわからない病名をつけられて、入院させられた。
翌日、朝食のときに流れていたラヂヲが聞こえた。
ー死傷者25人、戦後最大の放火犯、犯人はいまだ見つからず
ぼくはいつもの通り朝食を済ませ、ふて寝した。
おばさんと、工員に書いた、とっておきのラヴ・レターを読みながら。