私は、新やく聖書を読んでこの読書感想文コンクールをやり過ごそうと思いました。なぜなら、新やく聖書は「世界一売れている本」だとジョージちゃんに教えてもらったからです。
売れている本だから、多分すごく読みやすくてカンタンだから、はやく読んじゃって、感想文を終わらせて、リュークくんとチェスをしよう、と思いました。
買ってもらった新やく聖書を開いてビックリしました。「世界で一番売れている本」のはずなのに、『アブラハムの~』と、わたしの友達みたいな名前がいっぱい並んでいて、とっても読みにくかったです。カタカナが読みにくかったので、飛ばしました。
次の章に行くと、『イエスは』と急にはじまりました。多分、英語の「はい」をほんやくするのを忘れたのだろうと思いました。「誰だってしっぱいすることはあるんだよ。」パパの言葉を思い出しました。
また章をすすめていくと、『~な者は幸せだ』という言葉がいっぱい書いてあって、わたしは『悲しむものは幸せだ』という言葉を見つけました。『幸せ』の意味はわかります。パパがママとプロレスごっこをしているのを聞いていたら、ママが「しあわせ」と言っていました。パパとママはとっても仲良しなので、多分『幸せ』はハッピーな気持ち、ということです。
『悲しむものは幸せだ、なぐさめられるから』と書いてありました。つまり、リュークくんにチェスで負けて悲しくて泣いちゃったとき、わたしは『幸せ』、つまりハッピーだということです。なんで?わたしがハッピーだなと思うときは、ママとパパとゆうえんちで遊んでいるときです。そのときの気持ちと、リュークくんにチェスで負けて泣いちゃったときの気持ちがいっしょなの?私にはよくわかりませんでした。『なぐさめられるから』の意味が分からなかったので、図書室でついでに借りてきた国語じてんで調べてみることにしました。
「なぐさめる」、言葉をかけたり、なにかをあたえたりして、不幸な人の不安をとりのぞくこと。
と書いてありました。ふしぎです。泣いている私は『幸せ』だ、って言っていたのに、「不幸な人」に対しての行動だと書いてありました。
多分、新やく聖書を書いた人と、この国語じてんを書いた人は、考え方がちがうのだと思いました。パパは言っていました。「誰だって考え方や考えていることは違うんだよ。」と。だからこの2人の考え方がちがうから、書いていることも逆なことだってある、と思いました。
わたしははやく読んじゃって読書感想文コンクールを終わらせようと、おもっていたのに、二冊も本をいっしょに読んじゃって、2倍つかれました。だからもう、この感想文は終わりにしようと思います。作文用紙3枚以上、という先生の言っていたモクヒョウはこえられたので、おわりにします。
岩くら ペテロ みゆ子