騾黒愛(Lark roa)

larkroa@gmail.com

ピーピング友

 ある日の丑の刻のことである。

 私が酒の酔いも少し醒めた心地で、退屈の煙によごされ乍ら、煙草屋の店先でぼうっ、として居ると、後ろから、

 

 「兄さん、退屈しのぎのカフェインはいかが。いかが。」

 と、声がする。振り返ると、疲れ切った様な、如何にものん兵衛らしい背広の小男 が、立っている。ほとんどきちがいのように、いかが、いかがとうるさい。

 

 「しつこいな、」

 とぴし、と言うと、とたんに涙をうかべて、

 「買ってくだせええ。おいらはクビになってしまって、今日のツケさえ払えないん  だ。」

 

 と、赤子のごとく頼み込んでくる姿に、周りの酔客の目の哀れみさえ感じて来て、どだい具合の悪い思いで、言った。

 

 「買ってやる。しかしカストリのような下等品では、おれの舌は満たせないぞ。」

 格好つけて。ほとんど押し付けるようにその乞食男に、いくらかの金を払った。

 

 「ありがとうごぜえやす。飛切りの上物でごぜえやすよ。兄さま。なんたって、このクビになった腹癒せに、すっかりバラしてやるのだ。」

 乞食は、これであのバーのツケが払えるだの、方々つぶやき乍ら、語り始める。

 

 この乞食ふうの背広男は、郵便屋づとめであったこと。

そうして、風変りなやり取りをこっそり開封していた所を、上司に見つかったらしい。

本当か噓か、ひまつぶしには丁度よい物語、ストーリーであった。

 

二 三葉の手紙

 

 まず、一通の手紙が、痛ましく心を惹かれた、と小男は語った。

あれはもうどれ程前のことであったか、と話しだす男の唇の横の皺が、てらてらと嫌に輝いていた。

 

一つ目の手紙。

  

 「よう、お前が亡んだら、おれは白タイに赤のタキシードで以て、行ってやるぜ。だってお前、喜劇を見に行くのに、シケた格好じゃ、つまらねェ。

  三千と五百円で憂鬱をダースで購って、バカの極みだ。バカ學の教授さま。如何すればあなたの様に其処までご立派に成れやすか。ご教授ください。

 

  あ、こういう折には、教えて呉れ、等と云うんでしたっけ。なにぶん、劣等生ゆえ、見逃して下せえ。」

 

                七月十四日。 

               あなたの塾生より。

 

 

 

 小男は、十八番の噺をするがごとく、淡々の調子で話した。

 私はいったい、この下卑た坊主のくだらん懇願に、何の興味を刺戟されたのか。

 ーやはり、こいつは狂人か。殴って金を取りかえそうか。ー

 

 しかし。どうせ煙草屋の店先で二束三文で聞ける演劇なのだ。とこらえて、

 小男が物語を次ぐのを、だらしなく相槌を打ちつつ、待った。

 

二つ目の、手紙。

 

 「返信がねえのは、いつものことでござんすね、さぞお忙しいのでせう。

   なにしろ大先生ともなると。

  テキ屋を思ひ出すよ。お前の話を聞いて居ると。かりそめの仕合せ計り語って、内身はすっからかんのがらんどう。うどの大木。

  夜逃げ前の朝みてぇでひどく、シケていやがる。」

 

                七月二十八日。

 

 

 二つ目の、いかにも他人に対してぶっきらぼうな態度には、少し噴き出して了った。

 すると、小男はにやにやとはにかんだので、咳ばらいをして、続けなさい、と大義そうに言った。

 

 小男は得意になって、はいと応えて、続ける。

 

 

 「三通目。仏の顔もなんとやら、忘れちまった。ああ小雪がふりかかれば乙なのに、          日差しの野郎がバカみてぇにしつこく降り注ぐよ。

 

  先刻の手紙は、少し、ほんの少しだけれども、言い過ぎた気がして如何もぐあい惡い から、武士の手心を加えてやるよ。

 

  何もよ、お前が大罪者みてぇなツラで生きるこたァ、ねえんだよ。現に、人を殺めた奴だって、出て遊び廻ってるって聞くぜ。俺様の耳はロバの耳。

  カタギ。堅気すぎるんだよ、一度やくざ者にカブれたンなら最後までやくざでいやがれ、如何も最近は、お前の、大役を張ったトーシロ雀士みたいな薄笑いが癪にさわる。

  お前の薄笑いは、モナリザの微笑でも、女子供が主人に気を遣って出った美なぞでなく、醜悪だ。お前の忌野、際にはおれは石を投げるぜ。

 

   八月は暑くてかなわねえ、お天道さまにはかなわんね、十日、そろそろ盆だね。」

 

 

 どうも、ところどころの含蓄と皮肉に、するり、と侵入せられて、真水をのんだ様に、気持ちの惡い酔いなんか消えてきて、小男の言葉をただ、聞いて居た。

まんまと、聴客にさせられてしまった。

 

三 返信

 

 しかし、これほどまで書いて返事がないのに書き続けているのは、なにやら気色が惡い。小男の趣味の惡い漫談のようにも思われて、問う。

 

 「いや君、これほどまでに一人で話続けているものがあるか。するにせよもう少し巧く。第一ジョークというのは、」

 

 と、語りかけた私の言葉を遮って、小男はまたあの、いやな皺を口によせて、

 

 「お客さん、興をそぐことを言っちゃいけません、どうせ、ここに居るのは台所のお醤油に集った二匹の蟲に過ぎませんですから。」

 

 酔いどれ乞食の、ユーモアとも名状すべき機転に、豆鉄砲を喰らって、こちらもまた、咳払いをした。

 

 小男は又、漫談を続けた。てらてらと煙草屋の電燈に照らされるニキビまみれの顔。

 

 

 四通目。

  

 「お盆ですよ。しかし何だろう、お前は趣味がわりぃ、少くとも、おめぇは現代向き      の大衆、いわゆるポップ・カルチャーの対角線上に在る。それ計りか、まるで天から見下ろすように世間を見てやがる。 気に食はねぇ。 無學、無腦の阿呆が、偉そうに。

 

  おれ様たち、勤勉勤學の善人が、割を食うんだよ。外へ出て来いよ、いい加減、あれだ、やくざ風に云うなら、オモテ出ろよ。其の蒼白顔で、ヨイトマケでもやってみろ。己が無力に打ちひしがれてこそ。社会的動物。

  お前は、鹿だ。何も真に考えてやしねぇ。 もしゃもしゃと草を喰らい寝るだけ。

  何が絶望だ。得ようと望まないから、さしづめ、お前のは『無望』だろうよ。

 

  ディア フレンズ。この頃流行りのくせぇ文句を添えて。」 

   

                八月十五日。

 

 

 

 懲りない男。暇で仕方ないのか、「教授」さまが憎くて仕様がないのか。

しかし私は知っている。

 愛憎、つまり愛着も憎悪の花の肥料には、関心がかかせないことを。

つまるところ、この手紙の主は、相手に強い関心を寄せている、執着といって差し支えないほどの。

 

 小男は、

 「さすがに手紙の受け取り手も怒ったのでしょうね、」

 と蛇足を加えて、セルフ・アシュームドを露出せながら、続けた。

 

 先の手紙から三日の後に、返信があったという。

 

  

 

                拝啓。

 

 「きみは、お風呂に蠅が飛んでいると、ア掃除の頃だなと、其の不潔に気附くだろ う。其の如く、きみは所謂、「社会」と云うものの中に、泥の中の花の純白、あるいは     お便所の糞の下の真鍮の指輪の輝きに、己が美しさ、其れと己の周りの安寧を得ている に過ぎない。

 

  縄目の恥辱を受けたことのないきみの様な者にも、目に見えぬダニのように、人の目に附いていない丈けの、罪。悪徳が有るに相違ないのだ。

 

  人は生れ乍らにして不倖だ。

 

     活き活きとしても、線香の煙のように生きても、最期はコフィンの中。

  社会學だの、経済學だのの前に、少しは神學を知ったら善いのに。

   

         おせっかいな隣人より、哀れなる子羊へ。」

 

  オウガスト・エィティンス。

 

                敬具。

 

 

 なんだ、醜男どもの痴話げんかめいた物を想定していたら、蓋を開けてみれば中々。上々までとはいかずとも、少し冷めていた興が温まって来た。

小男に気附かれないように、それで。と吐き棄てた。

 

 また奇妙な口上めいたものを、この小男は挟んで、

 

 「さあ、やっとこさ返って来た言葉に如何に応ずるか。」

 

 はぁ。とため息を小さく吐いた。

 

 返信ありて。

 

                拝拝。

 

 「御霊前のエス・クリストを持ち出すとは、流石。

     盗みの心得が有る大先生なればこそ。 お前のアレテーは騙すことかな。

  すまない。『騙』と云う字は辞書を繰った。此の様な正直の美徳が、『駄馬』のお前には有りますまいな。気取るな。

  美徳を持たず、頽廃と罪を語るお前。

     馬へんの、変な、見たことの無い字で以て、アイデンティティだのジェンダァだの 作家を気取って大層に書かれる、隣人さまに。呪、じゃねェや。祝福あらんことを。

    ザー、ちげぇや。アーメン。 

 

   アウグストゥス 二十、なんつったか。

    英辞書は売っちまったンだ。」

 

                仏具。

 

 

 

 投げ槍な言葉だらけの結晶であるが、二日で返事を書く辺り、ぶつくさ文句を言い合っても一緒に暮らしている老夫婦のように、腐れ縁のようなものだろうか。

 

 小男は目を時々上に遣りながら、話す。

 右上だったか左上だったか、そんな与太話を聞いた節があったが、下らなくて忘れた。

 

 「そうして、その大先生とやらから返事があって。」

 

 と、要らないお通しを添えて、話し出す。

 

 

                拝啓。

 

 「きみは尊い。きみのように無教養で何も知らぬ働きアリは、エスに手厚くもてなされるだろう。ぶどう酒とパンでもって。

   きみは酒が飲めなかったか、ならぶどうでジュースを拵えるくらい、主には手心と機転があるであろう。

    私は、マイネ。

 

     頭が重たくて外へも出られぬ。教えに「呪」われて、小便の所作、服の脱ぎ方でさえ、過ちを犯していないかしら、と気がかりなんだ。

 

  こんど、聖書を送ろうか、それとも、マルクスだのの資本論だとか云う、血腥い奴の方がきみ好みかな。

  あと、信仰もしていないパリサイの祝詞では、誰も救われない、とぼくは思うよ。

 

    どうも、君の文字を読んでいると、サイレースの如く眠くなる。

 

    今日は手を休みます、お休み。わが手、そして愚かなるパリサイのきみ。

 

    伊佐坂、しゃれた修辞でもって、グッドバイ。

 

    P・S

  二十日は、トゥェンティースと云う。そうして、拝拝でなくって、拝啓だ。

   啓。啓蒙してやりたいよ。きみのザヴィエルより。」

 

   セプテンバー ファースト

 

                敬具

 

 

 静かなる反撃。無言の抵抗。ガンディの如く、さとい手段。人間くさい方法。

 ああ、新聞屋や郵便が廃業にならない「わけ」のようなものが少し分かった気がする。

 

 「それで、次にお話しします手紙が、クビになる前、最後に読んだものでございます。」

 

 ショータイムの終りのベルの響きに、郷愁とも、解放の喜びともつかぬ情が、ぶわぁ、と肺腑を満たして了って、咳をした。

 

 これは煙草によってですよ、という風に、語り部に格好をつけて。

 

四 ラスト・レター

 

 小男の盗み見た、さいごの手紙。

 

 「よう、堕姫。没落貴族。徒名だ。くれてやるよ、おれは徳の人だから、牛太郎の取 り立てはしねえよ。なんて、近ごろ流行りのカルチャーに、カブれていないお前にはこ のユーモアがわからねか。

   P・Sだの拝咎、咎具だの、(ここの字は、ハイトガ、トガメグ、と小男は説明して、空に字を書いて説明したので、くやしくも、ぷっ、とふき出して笑ってしまった。)

 

  使う機会も無い美麗字句計り、覚えやがって。肥え太ったブロスターだよ、お前は。

    ブロスターで思い出した。此の前うまい焼き鳥やを見つけたよ。なあに、お前の好きな素直なハトなぞじゃないよ、お前のような肥え太ったブロスターや豚どもさ。

  

  鳥貴族。其れが、名前だ。頭の重い貴族さまにピッタリじゃねぇか。ああ、ぶどうジュースだぁ、そんな子供騙しみたいなのは好きじゃないね。この「騙」は辞書を繰っちゃいねぇ。 

  あいにく、あいびき肉。お前みてぇな忘却の天才さまと違っておれ様は成長の人なんだ。

   緑茶が善いね、なんだっけ、変の国?剣の国?に迎え入れられた折にはサ。

 

  道理、道徳のドレスは重くて残暑に堪えるでしょう。脱いでいらして、Tシャツに短パンでぶらり、宛てもなくうろつくのも樂しいですのよ。道徳貴族様。

 

  馬術も善いが、話術はいかが?

  女を追い回して口説くのも、どだい大先生のありがたぁい説法には敵わんとも、案外。あなたの案の外(ほか)、愉快ですよ。

 

  志那みたいな、へんてこな名前の大先生へ。

   島国根性、いまこそ猛れ。」

 

            九月十四日   味噌汁の具

 

 

 

 

  

 小男は依然、息をすうっと、吸ってまた例の前口上をいうが如くみえた。

 しかし、続けた。

 

                追信。

 

(この字は、信仰とかかっていたのでしょうネ、なぞと軽口をたたく小男に、サアヴィス精神で、笑ってやった。)

 

  馬は善いですよ。鹿と違って。あくせく働いて、雌馬(読み方は、なんでしたっけ、先生。)の尻を追う。泥まみれで、しかし勝利の誉れを、生命の歓喜を体じゅうに巡らせるごとく震わします。

 

   先生も、馬になっては、いかがかしら。差し詰めあなたの飯を運んでくる、働き馬からの勧誘でしょうか。

  だって先生、馬なんて字を名前に入れてますもの。あら厭らしい。

  ああ、貴族の大先生に馬に、詰る所ヨイトマケをさせんとす大偉人かしら。

                         読んでいる小説より、引用。

  馬の話も、ただ競馬を見ていたら零れた、なにやらわからぬジュースに過ぎねェ。

 

  泥のジュースを、資本論一冊のお返しに。

 

  ああ、先生のように奇麗に締めくくろうとしても、正直カタギが治りませんです。

  ページが汗で滲んで了いまして、敵いません。」

 

            九月十五日 今朝はお豆腐。

 

 

 

 小男は、語り終えると影法師が剥がれて、憑き物がすっかり落ちて、大役者はどこへ やら。うす汚ないただの坊主に戻った。

 

 「ほうぼうへ言ってまわるのは、およしになってくださいね。次の奉公先に差し障りが出ますので。」

 と、仰々しくおっしゃる。

 

 「阿呆、こんな長いこと話して回っていたら、お前みたく私まで、クビになるよ。」

 

 

  陽光が差してきた。煙に目が痛くなり、少し袖で顔を覆う。

 袖を除けると、あら役者さんは、すっかりどこかへ消えた。

 

 そのさまが舞台のカーテンみたいで、あまりに出来すぎた、一夜のペテン師の喜劇に、 ははっ、と一人、失笑した。