騾黒愛(Lark roa)

larkroa@gmail.com

大塚探偵事務所 case.せうそこ

 

零 電話

 

石川県七尾市で、娘が居なくなった、という旨の電話が事務所に掛かってきた。

同じ子を持つものとして、また探偵として。必ずや見つけ出す、と決めた。

 

美濃の事務所から約三時間ほど車で北上した所に、伝え聞いた屋敷が或った。

時刻は夜の六時。

大邸宅である。窓にはステンドグラス、瀟洒な邸宅だ。

ノックをすると、嗄れ声が応えた。

「お電話いただいた、大塚探偵事務所の大塚です。」

と云ふと、ドアが開いた。

出迎へたのは、白髪の紳士で在った。紳士は深々と頭を下げ、

「大塚さま、この度は遠路遥々、ご足労いただきまして申し訳ございません。」

と慇懃に謝した。

 

一 執事

 

白髪の紳士は執事で或った。この大洗邸の主人、大洗光孝に仕へて居るという。

「しかし、どうして警察ではなく探偵の、其れも遠くの私に、ご依頼なすったんでしょう。」単純に疑問であったのだ。訊かずには居られ勿かった。

紳士は少しバツが惡い様子で口角を歪ませながら。

「大洗家と言へば、ここら一帯で知らぬ者は一人もありませぬ。もし彼女、もとい市の長の娘が居なくなった、なんて知れて了うたら、住民たちは大わらわでせう。」

合点がいった。とどのつまり、内密に解決をし度いのだ。

「左様でしたか、不躾な質問、申し訳御座いません。」

「とんでも御座いません。」

執事は、どうぞ、と家に招き入れて呉れた。

外観の素晴らしさに全く劣らない、美しき西洋邸宅だ。

広間のソファに、案内して呉れた。

ベロアのソファに腰かけると、執事は紅茶を淹れますので、と去った。

「お気遣いなく、」と社交辞令を飛ばす。

窓の外に目を遣ると、大きな川が悠然と流れていた。

 

暫時、執事が戻って来た。

白磁器に牡丹の赤が麗しいティーポットと、其れと揃いのカップを持って。

「お待たせしました、」と言いながら執事は紅茶を注ぐ。

此の人は今まで数え切れない程の紅茶を淹れて来たのだ、と痛感させられる手つき。

紅茶を口にして、ふと疑問が生じる。

「それで、旦那さんは今日は仕事ですか。」

すると執事は額の皺を一層深くして、

「実は旦那様はお仕事で東北の方に出張なさっています、なんでも同じ党の議員さんと会談があるさうで。」

「旦那さんには伝えました。」と尋ねると

「いえ、未だに伝えられていません。旦那様のお仕事に差し障りが有っては、と。」

「はあ。」

白磁器のカップをテーブルにそっと置く。

「娘さんが居なくなった日の事、お聞かせ願います。」

 

執事の語るところに依ると、その日、娘さん(紗雪さんと云うらしい)は、學校に行っていた。送り迎えには毎日、執事が自動車で行っていたという。

いつも通りの時刻に学校の前に車を止めて、紗雪さんを待った。

譜段であれば、十分もすれば紗雪さんは来ると云う。

しかし待てども待てども、紗雪さんは校門に現れぬ。執事は學校に入り、職員室に入り、担任に尋ねた。

「大洗紗雪の保護者の者ですが、紗雪はまだこちらにいますか。」

教員はぽかん、とし乍ら応えた。

「紗雪さんなら、今日はお休みと連絡が入ってますが。」

その言葉を聞いて、居ても立ってもいられず、半狂乱になり乍ら學校と屋敷の間を捜し廻った。然し、手がかりさへ遂ぞ見つからず、へな、としおれて屋敷へ戻ると、全国新聞の夕刊が入っており、藁にも縋る思いで我が大塚探偵事務所に連絡を寄越したのだそうだ。

 

二 教員

 

大洗邸を出て、執事さんから聞いた學校へ赴くことにした。

「どうか、ご内密に。」との言葉と共に、調査料の入った封筒を頂いた。

少し多く入っていたので返そうとすると、「これは旦那さまの心遣い、と思ってくだされ。」と低く、小さく答えた。

 

調査に入る、と言っても表立って学校に入る訳にはいかぬ、

車に乗り込み、バックミラーに小さく消えていく執事を見乍ら考える。

学校の近くを歩いていて、不審ではない人物…。

用務員として雇ってもらう、とも考えたが、時間がかかり過ぎる、紗雪ちゃんがもし生きているのであるなら、一分一秒でも早い解決の他に優先事項は無い。

 

車を雑貨屋の前に止めると、蛍光色のベストとトングとポリ袋を買った。

ゴミ拾いをしている振りなら、一切怪しくない。

 

時刻は夜八時に差し掛かる所で或った。

 

教員たちが登校(出勤)するのはだいたい朝の六時くらいである。

それまで特に出来ることは無い。

車を走らせ、川の土手に止めた。川の向かいには、件の學校が見えた。

絶好の位置だ、と思いながら、目覚ましを設定して眠りに就いた。

 

ぴぴっ、ぴぴっ。

機械音に目を覺ますと、大きな川がさらさらと流れ、草には蝶が舞っていた。

夜とはまた違う川の表情。これほどまでに長閑な街で子供ひとりが姿を消すなんて有るのだろうか、と考へて了う。

 

カツラを被り、ベストに袖を通し、トングとポリ袋を持って車から降りる。

橋を渡り、学校前のゴミ掃除を始める。

 

担任教員の特徴は大抵聞いておいた。

暁で照らされた校舎に、鳥がさえずる。

案の定、こんなところにゴミなんか散らかっている筈も無く、石を拾ってはポリ袋に詰める。

 

安藤恭子。それが、担任の名前だ。

日の出が始まって川がてらてらと輝き出すころ、そろり、教員が出勤してくる。

一人ずつに「おはようございます」と声を掛ける。

別段不思議がる教員もおらず、「お疲れ様です」と返してくる。

 

三人目に声を掛けたとき、確信した。

この女こそ、安藤恭子その人だ、と。

「おはようございます。」

女も挨拶を返した。

どうすればよいか、警察を騙れば早いのは知っているがそれは明確に犯罪だ。

「安藤先生ですか。息子がお世話になっています、山本です。」

務めて明るく、振る舞った。

「や、山本さん、、」

安藤は少し思案して居る様子だった。

無理もない、保護者会に出席しない父親の顔なんて知らなくて当然だろう。

「山本幸助の親父です、いつも出席できずにすみません。」

「ああ、幸助くんのお父様。」

「息子のことで、個人的な相談があるのですが、、お時間ありますか。」

「え、ええと、でしたら放課後にでも、、」

するりと抜けようとする尻尾を掴む。

「いけません。今でなくてはならないのです。一刻を争います。」

逃がさない。

 

「それで、お話というのは、、」

歯に物が詰まったように安藤が切り出す。

早朝の教室は静まり返って、椅子のきしむ音がいやに響く。

「幸助が、紗雪さんが居なくなった、俺もう学校いかねー。と言って聞かないのですよ。」

安藤は首をかしげた。

当然だ。でっち上げなんだから。

「そう、ですか。学校では元気なように見えますが、、」

安藤が消えそうな声で反駁する。

「いいえ。気丈に振る舞って居るだけです。いいですか、安藤先生。心の病の人は外見にすぐ現れますか。」

「い、いえ、そんなことはないと、、」

しばし、パイプ椅子だけが会話していた。

堪りかねたのか、安藤が口を開いた。

「紗雪さん、お父さんと一緒に、、その、、海外旅行に行っているんです。」

閉口した。そんな訳がない。第一、學校を休んで旅行など有る筈が無い。少し考えれば分かるものではないか。

「そう言うとクラスのみんなから紗雪さん、い、いじめられるかな、と思って。

い、言って無かったのは私のせいです。ごめんなさい。」

 

うすのろまぬけ、白痴の極み。よく教員學校はこんなのを通したのだと思う、コネクションか。否容姿で採用されたのか。

いずれにせよ、この阿呆にこれ以上要は無い。

「そうですか、そうとは知らず、すみません。」

つとめて、にこやかに、さわやかに。

「い、いいえ」

「それでは、町内会の集まりですので、失礼します。お時間頂いて、すみません。」

「とんでもないです、こちらこそ、、すみません。」

 

三 旦那様

 

安藤恭子からは、何も得られなかった。時刻は朝の七時、子供たちの声を車内で聞き乍ら、考える。

山本幸助の名前を出した以上、學校の周りをうろつくのは危険だ。

そうすると、残りの手がかりは「旦那様」、大洗光孝しか居ない。

しかし、大洗光孝に此の事が知られては私も、執事も損をする。

依頼人が光孝なら、すぐにでも知らせるが、今回の依頼人はあくまで執事だ。

執事の意見を尊重するのは当然の責務だ。

 

市議会議員の名簿を、執事さんから頂いていたことを思い出す。

一番親しい人物に、ペンで印がつけられていた。

繊細な字で、「同党、中學校の同級生」と書かれていた。

岩村広。七尾市議会 副議長。

結婚したが子供は無し。不妊治療中。

 

怪しい、限りなく黒に近いグレーだ。

午前八時二十一分。岩村の家の前に着く。

午前八時二十八分。妻と思しき人物がゴミ袋を回収に出す。

ん、と違和感を憶える。はてな、あの顔。

午前八時三十五分。岩村が出勤。妻と娘が見送る。

むすめ。

 

ロングヘアーにたれ目の一重。すこし膨らんだ鼻と薄く紅い唇。

間違いない。紗雪ちゃんだ。

車を降り、ゆら、ゆらと岩村家に近づく、腦の血管がはち切れそうだ。

憤りで立っているのさへやっとの体をゆらりゆらり無理くり動かす。

チャイムを押すと、インターホン越しにびっくりしている妻の顔が映った。

「資料、忘れちゃってね、ごめん。」

そのときの私はどんな顔をしていただろうか。般若、いや寧ろ感情を押し殺し果てて、おたふくの様だったやも知れぬ。

ドアが開く。

出迎えた妻のみぞおち目掛けて、トングを突く。

「あな…た…何、、、な、、に、、、、」

ぜいぜい言いながら、妻は無抵抗だった。

眼には疑問しか無かった。信用の才が有る人だ。

 

紗雪ちゃんを見つけて、抱きかかえ、ぽかんとする紗雪ちゃんに言った。

「さゆき、やっと見つけた。お家に帰ろう。」

「パパ、どうゆうこと。お家は、ここだよ。」

 

少し涙が出て了った。此の娘、紗雪ちゃんもまた、信頼の天才なのである。

 

助手席に紗雪ちゃんを乗せて、大洗邸へ急いだ。

 

四 さゆきちゃん

 

「さゆき。」執事は年甲斐もなく、素っ頓狂な声を上げた。

ぽかんとする紗雪ちゃんを執事が抱きしめる。

「辛かったろう、私が不甲斐ないせいで申し訳ない。」

紗雪ちゃんの袖は涙で濡れている。

 

紗雪ちゃんは未だぽかん、としている。

聞いたことが有る。人は強いストレスを受けると、一時的に記憶を消して了うという。 所謂、防衛機制だ。

 

紗雪ちゃんもきっと、じきに記憶を取り戻すだろう。

紗雪ちゃんは、「えええん」と大声で泣き始めた。

執事さんに一瞥して、屋敷を出た。

 

五 岩村

 

私は岩村広という、七尾市議会副議長だ。

賢明で優しい妻。

そして何よりも大切な我が娘、ゆき。

来年からは學校に行くことになる、成長が嬉しいような、悲しいような。

さてと、帰ったら今日はゆきの好きなアイドルが出ている番組を一緒に見よう。

なんといったっけな、横文字の…

 

家の前に、パトカーが集まっていた。

強盗か。まさか、いや、考えるのはよそう。

肩を叩かれる。

岩村広さんですね。署でお話を伺えますか。」

 

六 大塚探偵事務所にて

 

ニュースを見た。

 七尾市議会議員 逮捕

誰だか知っているのは執事と私、そうして市議会の議員、妻くらいであろう。

 調べによりますと議員I容疑者は容疑を否認している模様です

ほう、否認するか。さすが議員さんは違うね。

 警察は暴行罪の容疑で調べを進めています。

暴行罪、だと。

あれか。十四日後に誘拐容疑で再逮捕するという寸断か。

いや、何かがおかしい。誘拐容疑がかかるのは妻もであろうに、

 

コンコン…

 

ドンドンドンドン

 

ただ机の下で震えることしか出来なかった。

はめられた。もう終わりだ。

ガチャ。

 

「大塚さん」

 

「は、はい…」

 

「もう、返事ないから寝てるのかと、、」

「や、山崎」

「ちょっと、寄らないでくださいよ気持ち悪いなあ」

「え、何で泣いてるんですか。」

 

「やまざきいー、やまざきーー、」

 

美濃市にはある噂が有る。

 

人捜し日本一の探偵事務所がある、と。

 

安楽死について真剣に考えた

安楽死

末期の病気の患者にっ毒物が投与されたり、辛くていっそ、殺してくれ。

そんな人々におススメの制度。パスポートが有っても重病がなけりゃ...と嗤われる。

 

安楽死安楽死と云ふけれど。実際に「安楽死制度」が導入されると如何変わるのか、考へた。

 

一 医者のイメエジ低下。主に外科医。

 

 

高収入高学歴好安定、其れが幻影と変り、

「ええ、外科医?人殺しじゃん」と相成る。

 

そうして、外科医の成り手が減少することは明白で或る。

最年少の外科医でも二十代であるから、続けたとしても、四十年には外科医は壊滅する。

残るのは宗教か、民間療法の復興か。

 

二 医療費の高騰。

 

以前まで数千円で済んでいた診察代、薬価が高騰する。

死に至らしめる薬品が高いことと、人を手にかける医師への、云わば死刑執行人の早アガリのやうな給料が必須と成る。

 

安い薬剤を出すよりも、いっそ致死させた方が医者の報酬は高くなる為で或る。

 

三 麻酔の衰退

 

麻酔をして意識を失っている折、医者は致死の薬剤を使用しない、という楽観思想は消へ失せる。

苦しみの方が、死より遙かに安全だ、と考へて了うのは、動物として当然と云えよう。

 

四 政治屋の不審死

 

言わずもがな、政治屋は人の支持と反感を同時に買う生き物で或る。

そうして仮に体調不良で顔の売れて居る政治屋が医者にかかったら。

 

自らが兵器を持って居て、汝の敵が来たら如何するのであろう。

 

如何するのであろうか。

藝術は吐瀉物だ

藝術、物種と云うものは、吐瀉物であると思ふ。

口に入れて、嚥下する。消化されてゆくものは自らの身体から抜け落ち、散っていく。

 

消化しきれない脂もの、味の濃いもの、ヒト科ヒト族以外には毒にさえなるもの、

手違いで通ってしまったアレルゲン、方々の寄生虫なぞ、肚の中に這入るるが消化され得ぬもの。

 

そんなものが溢れて、口から手から脳から足から、じわり、と分泌される液、それこそ藝術の真髄で或る。

 

藝術とは、血生臭いもので或る。背目せざるを得ぬような、汚物である。

何か異物が、ヒトの中で破裂を引き起こして、はじめて出づるのが真の藝術で或る。

 

害を及ぼし、床を汚し、拭い去るのに多くの時間を要するものこそ、あはれで或る。

終わりのないエゴイズム、華麗なる自己賛美、究極の自己肯定。

天から与えらるるものでなく、身体の内側から嘔吐きの後にどっ、と吐き出されるもの。

 

「作家」だとか、「クリエイタ」とか、体裁だけの言葉では表せない、

果てしなき不健康、病ひ。

 

きちがいに成って初めて、藝術は生み出される。

 

金○

AM1:00。

「122番、ひと箱」

ふ、と手がとまる。はてな、と客が小首をかしげる

「560円です。」

そう言って、バーコードをスキャンした。

客は自動レジで会計を済ませ、帰っていった。

 

高くなったなあ、と思う。ひと箱で560円もするのか。

あれ、なんで自分は、吸ってもないものの値段なんて覚えているんだろう。

 

振り返って「122番」と称されたものを見た。

ああ、そういうことか。

と内心でつぶやいて、合点がいった。

 

長方形の箱に、山を模したーいや、たしかもっとワイセツなものだって言っていたっけー金色がMの形に、明朝体のようにやけにしっかりとした字体で、名前が白く、凸版で書かれている。

 

「お疲れ様です。」

AM5:00 

晴れやか賑やかな雑踏を、俯きながら帰路に就く。

ゴールが決まっている直線上の点Pみたいに。あれ、決まっているのは線分だっけ、なんてどうでもよいことを考えながら。

 

どんちゃん真っ只中の街から、ふと一筋の煙が見えた。

今にも消えてしまいそうな、仄かな赤をたたえながら。

 

ーどれも同じに見えるけど、味とか香りは違うんだよー

 

そういえば、あの香りにそっくりだ。

犬じゃないし、完璧にそうだとは言えないけれど。

ぼう、っとして立っていると、くゆる煙は街に消えていった。

 

自分は、心が狭いのだろうか。

ベランダでほたる火を灯す人への恋慕を歌う人もいる、なのに。

 

どうしても、好きになれなかった。

 

一筋の煙に無限の夢を見るなんて、海外の童話みたいですこし可笑しい。

なんだか口惜しくなって、酒屋に戻った。

 

AM5:26 

「すみません、122番を、ひと、、いや二箱ください。」

夕子ちゃん

「夕子さんって、小説を書いているんですね。」

「龍」と名乗る柄シャツの男は言った。

 

「読みましたよ、精神、腦外科医批判、巨大敵を相手にして、人気がない。

夕子は「ははは、、」とマニュアル通りに気が違った癈人の相手をした。

 

一見、八九三のクランケかと思わるるた。

ハイビスカスのシャツに、東洋由来の網目の細かい着物を着て居る。

 

ただ。一軸に「小説」と云っても。一様ではない。

異なる世界で奮闘するもの、異なる正義と対峙するもの。列挙に暇が無い。

 

夕子は所謂。貧しい出で在った。

母と父は結婚して、約一年後に子供を設ける。

 

しかし、離婚をする。

風俗営業法、、、恐山の灯りで摘発されたので或る。

 

「オヤジ」が、『おっぱいパブ』 の常連で在った為、妻は三行半を突き付けた。

パート(非正規雇用)為に成る。

妻は、したたかで在った。

 

夕子は、総てを棄てた。

 

両親も、ずぶ濡れの自尊心も、放棄した。

ただ/\、芸能に取り憑かれて居た。

 

夕子は、スターダムを駆け上り…いまや泣く子も笑うヒーローに…

 

なることは未だかなわず、しかし夕子へ向けて、客の笑いに向けて、道化を演じる。

 

夕子は訊く。「おとうさん、何のお仕事なの?」と。

 

夕子の声より、父母の声、ニュース番組の声が大きくて、

夕子は真実を信じ乍ら寝室に帰った。

 

 

日本というもの

日本とは、殊更不可思議な国だ。

海底火山が隆起して、島となる。

方々から鳥が其処へ糞をしに来て、その糞の中の種が芽吹き、日本となった。

日本と云ふ名も、珍妙で或る。

通説には、十人の声を同時に聞いた、だの額から七色の光線を放った、だの言われる

所謂「伝説」の中で、名付けられたとされる。

一笑に付す。作り話で生まれた名。演劇の役名と変わらぬ。

いっそ敗戰の折に、「ジャパン」なぞに変へれば良かったのに。

 

アメリカ合衆国アメリカ、なぞと例の国の人は呼ぶ、しかしそんなもの、覚えて居なくても構わないファースト・ネームだ。

ダグラス・マッカーサー元帥を「ダグラス」と呼ぶやうな異端だ。

 

やれ年号だの、つまらないものを、鳥の糞を自ずから採りに行き、未だに使うて居る。

これもまた、「伝説」に縋り、たいそう雅な名前を付ける。

大の大人が数十人も集まって、何日も卓を囲んで、ああだこうだ言うて、大層大仰に、これほど素晴らしい名前を付けたぞ、と発表する。

学習発表会の童のごとく、たいへん誇らしげに。

素直にグレゴリオ暦に従っておけば良いものを、わざ、わざと変へて言ひ、書く。

気色の惡い、島国根性とでも言ったところだ。

 

なぞと、輸入した酒を飲みながら、考へた。